医療法人札幌太田病院創立62周年記念特集 山口喜一関連文集
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1929年12月25日発行 「山口寿一(子息)追悼文集 夏枯草」より
   牛の死と血清治療の躍進
    ([記]伊藤誠修 「対ガン事業へ」)
寿一に注射した血清を造ったガンの牛のその後の様子と、血清治療のその後の研究の治ガン剤としての効力について。

牛の死
 寿一さんに注射した血清を造った、あの記念すべき癌の牛、癌治療に世界で初めてつかった牛、その牛を手に入れる事が出来ずに、その牛の血液を科学研究の為に苦しい手段により得た事は、それが永久に学界のエピソードとなるべきであろう。その牛は、思ったより寿命があって、逐に仔牛を生んだ。市川博士はその親牛たる癌の牛を商人に買い取らし手に入れた。買入れた日にその牛の顔面の癌を切開し、その癌を二頭の仔牛に移殖した。それから十日ばかり過た。六月二十日とうとう牛の死期が近づいたので、取れる丈の血をとった。その量は約一斗ほどあった。之を何れも血清とし冷蔵庫に貯蔵している。博士は
 「此血清は五百人分ある」
と語った。そしてもう一度牛の癌を切出し、以前に移殖した仔牛に更に移殖した。牛は遂に死んだ。今は此牛の頭部は標本として残されているが、癌の大きさは口中一杯で癌腫が如何に大きくなるか、好箇の標本となっている。

 山口さんは科学の貢献者であり、犠牲者である此牛に対し、永久に記念すべき碑を立てると話されているし又対癌協会でも何等かの方法を講ずべきを信じて疑はない。


血清治療の躍進
 治癌の血清は、其後も市川博士の不断の精進により、改良に改良を加えられている。血清注射は危険なもの、血清はその注射中急劇な変化を起し死に至らしめる場合がある。又一回の血清注射に害毒はなくとも、数回の注射に危険が伴うものである。殊に注射から注射の間隔の永い程危険である。市川博士はこうした危険を全く除いた血清を製造している。それは動物試験によったものである事は勿論である。人に対しては一回の注射ではあるが寿一さんに試み危険のない事は立証されている。寿一さんに試みた同じ血清を、五月中旬注射した兎鼠は未だに生存している。そして癌は根治されないが小さくなっている。此兎鼠と同時に移殖した他の癌の兎鼠は何れも死んでいる。其後同一血清の効力増進をなしそれを用いて動物試験をなした。此血清は全く成功している。癌は痕跡なく全治されている。尤もそれはザルコームであった。またこんな例もある。鼠の癌が体の半分程の大さのものに唯一度血清注射を試みたが、それは死んだその死体を解剖して見ると、癌の外壁は薄く内部はどろどろの血になっていた。

  ザルコームに利目のある血清は、カルチノームに利目があると言はれている。カルチノームに利目があってもザルコームに利目がないと言はれているから、市川血清即ち寿一さんに試みられた血清が有効と言ってもよい譚である。私は治癌剤として血清は成功するであろうと思はれてならない。
 そしてその成功を祈っている。
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